2023/8/5 - 2023/8/22
終了しました奥山淳志『BENZO ESQUISSES 1920-2012』展
Titleでは奥山淳志さんの新作写真集『BENZO ESQUISSES 1920-2012』の刊行記念展をおこないます。奥山淳志さんの写真作品と、本書に収録された井上弁造さんのエスキース(原画)作品の展示販売です。
『庭とエスキース』からはじまった、ふたりの旅の行方をご覧ください。
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BENZO ESQUISSES 1920-2012について
1920年に北海道で生まれた井上弁造さんは、2012年に92歳で逝くことになる。
遠い少年時代、北海道開拓の過酷な生活のなかで絵を描くことに目覚め、通信制の似顔絵講座からはじまった絵描きへの夢は、弁造さんの人生そのものだったといえるだろう。
ただ、人生は思い通りにいかないことの方が多い。誰の人生にもあることだが、弁造さんは結局、自らの夢を叶えることができなかった。一生を通じて絵を描き続けたにもかかわらずたった一度の個展を開くこともなく逝ってしまった。果たして、そのような人を“絵描き”と呼んでいいものかと迷うときもある。そんなとき、僕は決まって弁造さんが暮らした小さな丸太小屋に遺されていた膨大なエスキース(習作)を思い起こす。晩年の弁造さんはエスキースばかり描き、絵を完成させることをしなかった。「自らの理想とする絵に近づくために」というのがその理由だったが、執拗にエスキースを描き続けた弁造さんの姿を思い返すと、僕には別の目的があったのではないかと思えてくる。弁造さんは最期まで切実な思いを持って絵を描き続けるために、最期まで絵を描くことを愛していると言い放つために、絵を完成させなかったのではないだろうか。
弁造さんが逝って今年で11年目を迎える。弁造さんと過ごした日々は遠ざかるばかりだが、レンズを通してエスキースを見つめる日々は僕に弁造さんとの新たな出会いを生んでくれたように思う。今日、エスキースを弁造さんに返そうと思う
2023年7月5日
奥山淳志
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弁造さんのエスキース販売について
ひとつの思いがあって、弁造さんのエスキースを販売することにしました。
2012年の4月に弁造さんが亡くなり、僕は弁造さんのエスキースを僕が暮らす岩手に持ち帰りました。生前、弁造さんはその絵について、「わしが死んだら燃すなり好きなようにすりゃあいい」と軽く言い放っていました。それは「死んだら無になる」が信条の弁造さんにとっての本心だったと思います。実際、弁造さんは死後、自分が暮らした丸太小屋と納屋を解体するための費用を残していました。弁造さんは、自分の死とともに絵も無にかえそうと計画していたのです。僕もその当時はそれが弁造さんらしい判断だと感じていました。
しかし、弁造さんが実際に亡くなってしまうと、僕は弁造さんのエスキース、手書きの手紙、メモといった弁造さんの存在を強く宿すものをかき集め、持ち帰ることにしました。『庭とエスキース』にも綴りましたが理由は、弁造さんの記憶を宿す物のすべてが無くってしまえば、弁造さんが存在したという事実さえも失われる気がしたからです。
以来、僕はずっと弁造さんのエスキースとともに生きてきました。おかげで、僕は弁造さんが愛した絵の世界を常に感じながら生活することができました。それは、この胸の奥から弁造さんのあの甲高く人懐っこい声が聞こえてくるような、そんな日々でした。
一方、心配もありました。それは僕が死んでしまったら、このエスキースたちはゴミになってしまうのだろうなという簡単に想像できる未来でした。すべてのもの、すべての存在が消えてなくなると考えれば、それはそれでいいのだろうという思いもないわけではありません。しかし、画家としては全くの無名で逝ってしまった弁造さんのエスキースが死後もこうして僕の手元に残り、しかもいくつもの幸運が重なって「弁造さん」という存在が多くの方々が愛されるようになった今であれば、さらなる幸運も夢見ることができるのではないかと思うようにもなりました。
ずっと、「弁造さん」は僕の弁造さんでした。しかし、僕が不思議な縁で巡り合うことができた「弁造さんの生きることを見つめた日々」を写真や言葉で表現していく過程で、「弁造さん」は「みんなの弁造さん」になっていきました。この奇跡(僕はいまだにそう思います)を思うと、弁造さんが遺したエスキースも「みんなのエスキース」になることができるのではないか、そう考えるようになっていったのです。
そして、たどり着いたのが、今回上梓する『BENZO ESQUISSES 1920-2012』を機に僕は弁造さんのエスキースを手放そうという決心でした。と同時に、誰かが弁造さんの記憶が宿るエスキースを大切に思い、暮らしのなかに迎え入れてくれたらと願いました。無名の画家が描いたエスキースの価値など、もしかしたら落書き同然なのかもしれません。しかし、弁造さんの生きることに共感する方々が、弁造さんのエスキースとともに新しい日々を歩んでいくという未来を想像すると、「他者と出会うこと」が秘められた不思議な力を僕は覚えます。
今、友人の木工作家に弁造さんが板に描いた油絵を収めるオリジナル・フレームの製作を依頼しています。弁造さんが描いた女性たちは、木の香りのする美しいフレームに飾られて、どのような人に出会うのでしょうか。エスキースの女性たちが新しい家で目を輝かせるその光景を僕が見ることはきっと叶わないでしょう。しかし、それを想像することで、僕は胸の内に存在している弁造さんに今日も語り掛けることができると思うのです。
■会期中の8月5日(土)、20日(日)、21日(月)、22日(火)、13時から17時で奥山淳志さんが在廊予定です。
■写真集の体裁について
BENZO ESQUISSES 1920-2012
2023年8月1日 500部 私家版発行
定価6000円(税別)
Title webshop
- 井上弁造(いのうえ・べんぞう) 〈1920-2012〉
「大正9年、父井上祐一・母きみよの次男として新十津川総富地(そっち)に生まれ、数え年7歳で総富地尋常小学校に入学。16歳で中徳富(なかとっぷ)高等小学校を卒業。その後は家事を手伝う。父は農産物検査員の傍ら小作農を営む。19歳の春に現在地(当時は作り枯らしの荒地)に入植。自分は夏、農業の手伝い、冬は叔母の家のある東京で洋画を学ぶ。戦中、兄と弟が兵役、自分は2ヶ月の教育招集で家を守って終戦を迎える。戦後は出稼ぎや日雇いと忙しく絵を描く時間も少なく70歳で体調を崩す。今88歳、もし一度個展をひらくことが出来たら幸いです」(2009年、当時88歳の弁造さんが自らの略歴を記す)
- 奥山淳志(おくやま・あつし)
1972年大阪生まれ、奈良県育ち。京都外国語大学卒業後、出版社に勤務。 1998年岩手県雫石町に移住し、写真家として活動を開始。以後、東北の風土や文化を撮影するほか、人間の生きることをテーマにした作品制作をおこなう。 受賞歴に2006年「Country Songs ここで生きている」でフォトドキュメンタリーNIPPON2006、2015年「あたらしい糸に」で第40回伊奈信男賞、写真集『弁造 Benzo』および個展「庭とエスキース」(ニコンサロン)で2018年日本写真協会賞 新人賞、2019年第35回 写真の町 東川賞・特別作家賞がある。2019年『庭とエスキース』、2021年『動物たちの家』(ともにみすず書房)を上梓。
- 開催日
- 2023年8月5日(土)ー 2023年8月22日(火)
- 時間
- 12:00 - 19:30(日曜日は19時まで) 8月9日(水)、15日(火)、16日(水)休み *最終日8月22日(火)は17時まで
- 会場
Title2階ギャラリー